すぎもと歯科院長 杉本英之
H7 | 滝高等学校 卒業 |
H13 | 岡山大学 歯学部 卒業 朝日大学病院 矯正科研修医 日本矯正歯科学会 会員 |
H18~ | 日本矯正歯科学会 認定医 |
H20.9~ | すぎもと歯科 院長 |
歯科医への道
父がその春「杉本歯科医院」を開業した年、昭和51年の12月24日大雪のクリスマスイヴに、私は杉本家の次男として生まれました。
その翌年には弟が生まれ、男ばかり3兄弟となり、二つ上の兄、一つ下の弟、二人の間に挟まれ、親の目が届かないのを幸いに、なにかと悪さをしては親をはらはらさせていたようです。もちろん、私はまったくおぼえのないことですが・・・近所の方にも時々言われますのできっとそうだったんでしょう(笑)
ところで、百日咳を皆さんご存知ですか?
本当に百日くらい咳が出て、食べたものを直ぐ吐き出してしまう厄介な病気ですが、2才ごろにその百日咳をやり、すっかり痩せてしまいました。
そのせいか体が小ぶりで、弟の方が兄だと殆どの方に間違えられていました。末っ子でのびのびと育った弟には、腕力でも、かないませんでした。
兄弟3人けんかもしましたが、遊び相手に困ることはありませんでしたね。
今思い出すと、3人で色々と工夫して遊んだり、勉強も教え合ったりと楽しい思い出ばかりです。
腕力ではかなわないので、せめて学力は!!と思ったわけではないのですが、小さい時から本好き・勉強好きの兄にも影響をうけ(サボるとしかられたので?)、勉強は頑張ってやりました。
中学は兄の後を追って滝中に入学しましたが、受験を控えた小6の秋、体育の授業中に右手を骨折してしまい親や先生を慌てさせたことも…
しかしその時の私は母親の愛情を独り占めにでき、『いままでで一番嬉しそうだった。』と母は懐かしそうによく言います。
その1年後には弟も滝中へ入り、また兄弟3人一緒に滝での中学高校生活を過ごしました。
その後、兄は小さい時からの希望どうり外科医への道を邁進し、なんとなく『家業はお前に任せたからな・・・』という雰囲気に。素直な(?)私は、その後歯学部をめざすことになるのですが…それからが大変でした。
またまた、受験をひかえた高校3年の6月ごろから体調をくずし、(原因はどうもプレッシャーからくる神経性胃炎のようでしたが、)全く勉強どころではなくなってしまったのでした。
それでも、家族のみんなに支えられ無事 国立岡山大学歯学部に合格!!
いつも厳しい兄も、この時だけは 良く頑張ったと、褒めてくれました。
それは、あの阪神淡路大震災の年のことです。
受験はもちろん入学してからもしばらくは、新幹線・在来線とも不通で、JALの臨時便で岡山入りしました。
まだ体調に不安のあったその時の私にとって、空からは45分くらいで着いたのでありがたかったですが、歴史に残る大変な年になりました。
岡山は静かな落ち着いた城下町で、物価も安く、更に大学の歯学部は一学年60名で、そのうち女性が半数以上、のんびりと楽しい大学生活を送ることができました。
卒業後 江南から通うことのできる岐阜の朝日大学付属病院矯正科に入局、その間、父が院長の「杉本歯科医院」の一般診療を手伝いながら、日本矯正歯科学会 認定医を取得しました。
20年からは「すぎもと歯科」と改め、院長として現在に至っています。
現在家族は、歯科衛生士の妻と娘2人そして猫2匹(メス)です。
趣味はパソコンと時々ゴルフもやります。
そして、デイズニーランドです★